創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

疑問を持つということ

 おはようございます。昨日は寿司屋で「のどぐろ」和名「アカムツ」という超高級魚とやらを食してご満悦のライアーです。白魚のトロという表現が適当なのでしょうか。脂の量が尋常じゃないw醤油付けて日本海をイメージしながら食べましたwうおお~高まるぅ~。まあ、空腹は最高のスパイスということで(私はグルメではない)w

 さて、ブログを辞めるにあたり、カルト思考からの脱却についてもう一度振り返っていこうと思います。

 私がカルトをカルトと認識することが出来たのは「疑問」を持ったことでした。単純にこれしかない。

 信仰を持つ皆さんに問います。
「何かが違う。そう感じる。だが上手く説明出来ない」そんな気持ちになったことはありませんか。あなたは、本当は気付いている。だからそんな気持ちになるんだと思います。

 いくら慢性的な不満があってもそれを我慢してしまう、祈りで消化しようとする人達がいるのは(自分もそうだった)、疑問が不満を超えられないからだと私は考えます。受け入れられないから祈ってしまう自分に気がつかない、と申しましょうか。
 圧倒的な知識と毅然とした態度を身に付けよう、と以前から申しているのも、疑問無くして解決の糸口は掴めないからです。カルトは疑問点というトリガーに「恐怖」というアンカーを仕込んでいます。そこに辿り着かないように仕向けられたものです。根元的な恐怖からは人は逃げることが出来ず、目を瞑るしかない。だから考えが及ばないのです。

 どんなものにも疑問を持って挑む姿勢。これが最終的な肝になる部分だと個人的に考えています。
 当たり前、当然、常識、そんな言葉の裏には様々な他者の思惑が見え隠れしてはいないだろうかと。
 すなわち「第三者からの刷り込み」「思い込み」を炙り出す作業がどうしたって必要になります。
 大半の人がここで「めんどくさいな」「どうでもいいや」と感じ思考停止してしまうのも、第三者の策略に乗せられてきた結果なのではなかろうかと。
 私達はどれだけ骨抜きにされてきたのだろうか。この時点では強い感情が必要だと考えます。「怒れない」これは問題です。もっと怒っていいんです。次のステップではその「怒り」を手放す作業が待っていますが、ここでは怒りをもって立ち上がる必要があるのではと私は考えます。
 人間、本気で何かを成し遂げようとやる気を起こすには、対象が「好きなこと」でなければ本領を発揮出来ないのです。
 皆様はカルト好きですか?嫌いですよね。はい、じゃあカルトではあなたは変われないね、というロジックがここで成立するわけです。対象者には徹底してこのロジックを持たせる努力をしてほしいです。本人が疑問に立ち向かわなければ解決しないからです。

 そもそもが他人の意見を聞けなくなっている(されている)状態を自分自身で認識するのは非常に困難なことです。それを人は「洗脳」「MC」等と呼びますが、単純に言えば「疑問点に辿り着けない思考」にさせられちゃいねえかってことです。

 私達が持つべき思考は「疑問点を受け入れること」ではないでしょうか。

  一旦休憩。