創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

フレームをぶち壊してみる

 以前、「フレーム思考」について書いたことがある。
 駐車場の白線の枠内に駐車するといった行動や、ハンバーガーショップで食事したら自分で食器を片付けるセルフサービス等、何の疑問もなく無意識に行っている思考回路の話だ。いわゆる情報処理のショートカット機能のようなもので(単に意識に上がってこないものが大半で、考えていない訳ではないが)、人間はこの機能のお陰で思考の並列化が可能なのです。
 思考実験してみるとわかりますが、普段の生活の中でこのフレーム思考を意識に上げる努力をすると、かなりの疲労を伴います。無意識にやっている行動を客観的に見ることで、自分にはこんなクセがあるのかとか、考えもなくやっていた行動にこんな無駄があったのかとか、こんな難しい処理を無意識にしていたのかと新しい発見があったりします。

 様々な理由からカルトを去った人の中には、このフレーム思考に焦点を当てる人が多くおり、やってきた行動そのものを意識に上げたことによって、
「自分は詐欺に加担していた」とか「騙されていたとはいえ、多数の仲間に迷惑をかけていた」といった思考に陥りやすい傾向があります。
 私も一時期は酷くその自己嫌悪に悩まされた1人でありますが、普段の生活から刷り込みの中に生きていることに気付くことで、暗くて壊れそうな暗澹たる気持ちから脱却できたことを思い出します。何故脱却出来たか。それは、刷り込みはカルトだけの専売特許ではないということに気がつけたからです。
 刷り込みには「第三者の意図したもの(洗脳やMC)」とそうでないもの「自ら勝手に刷り込んでしまった(フレーム思考)」が存在します。これはこっち、あれはそっちとか出来事を厳密にどちらかへ分けることは非常に至難で無意味ですが、考えればわかる通りで、
「第三者にきっかけを与えられ、自ら勝手に刷り込んでいったこと」の方が圧倒的に多いのです。
 
 これらの刷り込みには親からの期待などもこれに含まれると私は考えます。とあるプロアスリートでさえ、きっかけを突き詰めていくと子供の頃に親が褒めてくれたとか、喜んでくれたなんていう些細なことから、それが継続につながり、後に偉大な結果(その道の)を叩き出す訳ですから、刷り込み自体を批判するものではないことを理解してもらえたら有難いです。
 問題はこういった当たり前を「運がよかった」だの「生まれた場所が悪かった」「宿業だ」「罰の現証が出た」だのと、本当のことをひた隠しにする社会そのものの構造なのだと思います。

 生まれた時、人は可能性の宝庫であるはずです。それを、家が貧乏だったとか兄弟がどうだったとか、周りの些細なきっかけの積み重ねによって制限をかけられていくという世界の中に人間は生きている。このことを、親はまず子供に伝えなければならないと思います。「人のせいにしているうちは楽」というのは、まさにこのことを受け入れることの至難さなのだと。

 無批判に受け入れているものの中からそれら「悪しき刷り込み」を炙り出す必要があるということを、そしてそれらを親でさえ無自覚にやってしまうことがあることを知って下さい、と後世に伝えたいのです。

 包丁、と聞いて何を連想しますか。数を上げていってみて下さい。良いも悪いも全部です。そして、やがては気が付く。大事なのは使い方なのだと気が付くはずです。

 これが個としての人生、全としての人生をバランスよく生きていくコツではないかなと、個人的には思っているわけです。以上