創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

これからどうしたいのか

 先日、本屋さんへ行きました。最新の本だけで何十冊もあって、読みきれないなぁなんて思いながら、ざーっとタイトルの流し読みから始めました。

 ちょっと増えた、または自分の重要度が変化したのでたまたま目につくように見えた(恐らく後者だが)のは、未来を予見している本でした。十年後の日本はこうなっているとか、凄いのだと百年後を見通した予見をされている本等がありました。著者はそれぞれの得意分野の理論思考等で持論を展開している訳です。
 果たしてその著者の方々の答えは、正しいのでしょうか。いや、良いことなのでしょうか。
 未来を語るテーマの根底にあるものは、「不安」から来るものなのか、はたまた「希望」なのか。私は、流し読みしながらそんなことを考えていました。
 
 私の宗教では人類の未来まで預言しているぞとか、なんか経文に書いてあるぞ、だとかいって現実を見ようとしない人もいるかも知れません。では、そのような方の語る未来とは一体いかなるものなのでしょうか。

 前の記事にも書いた「いい気分になるために人は頑張っている」という点に絞って持論を展開させて頂きますが、我々人類が、未来の姿を物凄く高い所から見たときに見えるのは、どこまでいっても「人間にとってどう転ぶのか」という視点で、他のことはお構い無しな空気を持った方々が圧倒的に多いと感じます。
 かといってナチュラリストや言動の行き過ぎた人の精神論は突飛すぎて一般受けしないし、今すぐ何とかしなければならないものには目を瞑るような論調だったりで。

 少子高齢化が問題だと言ってみたり、インフレやデフレが良くないとか(そもそも日本人の数が増えすぎだとか、インフレやデフレは起きること自体がおかしい、という意見もある)
 枝葉の部分だけを見て「これは問題だ」って思うのは、少し短絡的な気がします。それが根っこだと思わされていやしないか。根っこのシステムに目を向けている人はどれだけいるのでしょうか。

 不安を煽るだけ煽り、具体案なんか一つも出せず、本当のことは書けない、そんな人でも本は出せる。
 私達は風見鶏のように振り回されるだけでいいのでしょうか。いつ吹くかわからない神風を待ってるんですか。一斉に回り踊り出すんですか。それでいいんでしょうか。

 自分の頭で考えるとは、人の意見を組んでもなおかつ自分の言葉で語れることだと思います。否定も肯定も要らない、自分の言葉で。
 これにはいつまでもバカでいてもらっては困るという一部の人間と、バカでいてもらわなくては困るという一部の人間とのせめぎ合いに発展しなければならないと思います。そうならないと、戦争は終わらない。

 私は、どうなるか、ではなく、どうしたいか、が重要視される時代を望みます。その為には自力で考えられる人が増えることだと思います。

 自分が動けば、風なんて勝手に感じます。起こせます。考えましょう。動きましょう、良い気持ちでいる為に。以上です。