創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

おもひで話・1

 アクセス数が上がっているので、自己紹介とまではいきませんがちょっとした思い出話をしようと思います。
 そんな人もいるんだな、程度の話で読んで下されば幸いです。対話の頃から自分を多少知っている方には退屈だと思いますが、ご容赦下さい。

 私は、カルト問題はもう遠い過去に清算したことだと思ってずっと生活してきました。ニ十七歳の頃に非活になり、幽霊会員のまま、結婚を機に引っ越して十数年間、完全にカルトとほぼ完全に無縁な生活をしていました(母が信仰してはいましたが、一切触れずにきました)。

 もともとは外部だったので、バリ活から普段の生活に戻ったという感覚しかありませんでしたが、妻との間に起きる一般的な感覚の違いや知識量の差という、そういったものは全てジェネレーションギャップという一言で済ませてきた感覚しかありませんでした。新生活は真新しいことだらけで、正直カルトのことなんて思い出すことはあっても、まるで眼中にありませんでした。

 洗脳のせいで、とか、カルトのせいでなどといった、特に生活に支障をきたすような精神をやられるような出来事もなく、返って内助の功によって爆進してきた感覚しかありません。娘を真っ当に育てること以外には、何の興味も捨て去った生活をしていました。

 時折、創価を批判する雑誌記事やニュース、ネット動画等を見ても、
「ふっ。アホ共が。なんも知らんくせに勝手なこといってんじゃねえぜファッキン」くらいの感覚でした。
 バリ活の頃の思い出は、何も辛いことだらけではありませんでしたから。楽しいことも、嬉しいこともありました。共に泣き笑い、励まし合った仲間がいました。
 いえ、たとえ辛いことでも、世間的に非難されるようなことであったとしても、ですね、今は。
 それが「広宣流布」という、立宗以来未達成の大偉業を成し遂げるには必要な事なのだと、信じて疑わなかったんです。
 ライダースジャケットを羽織り、斜に構えて世間にshoutする(届いてないが)ぐらいのことしかやってこなかった無知で無垢な(バカです)自分には、創価学会という組織のやっていること(表向き)はそのくらい完璧な理想卿に思えたんです。
 
 創価の皆さん、自信もって下さい。そのくらい素晴らしい団体に、見える人には見えるし、見せることは可能ですから。 

 私は噴飯物のカルト脳でした。

 ではなんでバリ活を辞めたのかっていうと、単純に自己嫌悪からでした。
「自分には無理」「自分なんてくその役にも立たない」って。それくらい学会活動に打ちのめされたんですね。バリ活でいることが、自分には無理だっていう劣等感。
 思えば、「これはおかしいよ」「おかしいことはやめよう」それが普通の感覚であって、バリ活さんの異常性、いや、創価学会の異常性を認められなかっただけで。
「自分がついていけないだけ」「悪いのは自分」と思っていました。

 私が今、厄介だと考えているのはこの各種「刷り込み」に対しての危惧なんです。 
 ブログを立ち上げてまで訴えているのは、終始一貫してそこだけです。全部読んでもらって結構というか(その為に書いてるんだがw)

 おかしい、と思って辞めたのではなく、自分がおかしい、と思って身を引いたんですよ。すでにおかしいでしょ。この理屈を通そうとするのは。なのに、頑なに認めなかった。
 罰があたるんじゃないかとか、そういった刷り込みによる恐怖心は、信仰者であることで……御書の一節を、頑なに信じることで耐えてきたんですよ。幹部の誰に何を言われても、大聖人の仰ることが正しいんだ、と。
 そんな思考回路でしたから、信仰を持つ者としてのプライドというか、信仰者だからつまらぬことで蹴躓くことはないのだ、という根拠のない自信だけは一丁前にありました。

 一般的には、それで良かったのかもしれません。そのまま生きていくのも、その人の人生です。
 私達のようなアンチの場合、そこで終わらなかっただけで。その差を、どう感じるか。それだけですね。

 創価に疑問を持ったのはニ年と少し前頃になりますか。もう記憶が曖昧だなw
 後でカルトスカウターを再開した折りにも触れようと思いますが、ネットサーフィン中に創価板を覗く機会が訪れたんです。

 そこで何度も確認して、声にまで出して、確認しました。

 ※「弘安二年の御本尊は、JUJUの、いや、受持の対象には……致しません……聖教ネットに書いてある……だと?……嘘だ……嘘だぁぁぁ!」(※ここはフィクションだよ)


 草々期の人達が、縁切られながらばかにされながら、必死こいて折伏しまくってまで、これを教えたくて伝えたくてやってたんじゃないのか。

 こいつら一体、何がしたいんだ、と

 てな訳で、そこから怒濤の瓦解劇が始まったんです。信じていたが故の、知らなかったが故の、瓦解でした。
 長くなったので、一旦切ります。