創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

祈り

 安っぽい巻物を手に取り眺めながら思案する。
 つくづく、祈りの対象とはこれといったものに限定されるものではないというか、なんというか。何でもいいなんていったら信仰者に怒られそうなので、なんと言ったらいいかな。
 うちの神様は、ちょっとだけズボラな神様なんだけど、優しくていい神様なんですよ、くらいの姿勢で良いんじゃないかって思うんですよね。

 カルト時代、祈りは具体的にという指導を受けた。今になってよくよく考えると、具体的になってしまった祈りは、もはや祈りではなくなってしまうのではないかなと感じた。なんというか、願望に欲望が混じっちゃうというか(感覚人間ですまぬ)
 戦争や無駄な争いが無くなって欲しいとか、大切な人が健康でいて欲しいとかいうのは、わざわざ具体的に言葉にしなくたって深層意識で常に考えているわけだ、人間の脳ミソは。
 言葉という次元にわざわざ落とし込まなくたって、漠残とした向上心は常に考えているもんだよね、人間は。
 言語化して抽象度を下げるから、そこに欲望が入り雑じる。叶うもんも叶わないもんも出てくる。また躍起になって呪文を唱える。頭おかしくなる。この循環は良くないと思うんですよ。

 何万編もお経を唱えるよりも、
「おはよう」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 こんないつもの言葉の中に、どれ程の願望を込めて生きていくか。
 言葉はいつも役に立たない。それは祈りが弱いんじゃなくて、頭が固いからだと思うんだ。
 言の葉ってやつは、羽のように軽いけれど、結構重たいもんも乗せてくれる。あなたは何を乗っけるのかな。誰にそれを届けるのかな。

 こんな風に、誰の受け売りでもない自分だけの思いを言の葉に乗せて、誰かに届けばいいんだよ。おいらはそう思う。


 一刻も早く、目の前の現実を生きて下さい。時間ってやつは残酷ですよ。以上