創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

カルトスカウター・16

 夜七時を過ぎた頃、陣痛が始まった。宿泊出来るということで、病院に向かった。

 その日は特に何事もなく、微弱な陣痛が続くものの、まだ余裕のある妻と共に、勝手に新生児室のガラス窓を覗きに行ったりした。

「うちの子が一番可愛いなぁ」
「口元がパパそっくり」
「ボケをボケで返すな」

 夫婦漫才をしている間に、出産を終えたママ達と意気投合。

「これからなの」
「頑張ってね」

 これからが地獄よ、と見知らぬマダムに釘を刺された。
 どれ程の痛みなのか男の私には解らないが、後日聞いてみると「血の気が引いて脂汗が出る程の、最上級の下痢痛の十倍の痛みが延々続いた」と、更に想像の上を行く返しが来た。

 翌日、私はひとまず会社へ向かい、先日の依頼の件を片付け、夕方急いで病院へ戻った。妻の陣痛もようやく本格的になっていた。

──以前、多幸感について述べた。痛みの後にセロトニンという物質が分泌されて幸福感を得ることが出来ると書いたことがある。出産後の幸せそうな母親の姿をよくテレビやネット動画で見ることがあるが、つまりは、そういうことなのだろう。幸せを得る為に、そして育てていく為に必要な痛みなのだと、今は思う。男性である私にはただただ、尊敬しかない訳だが。
 最悪だったのは、当時の私はこの一連の出来事を「大難起これば大善きたる」と捉えていたことだ。これは最低の考え方だと思う。子供が産まれるのに、何が大難だ。乗り越えなければならないこと、そしてその乗り越えた先の結果も全て踏まえて受け止める者からすれば、大難も大善もないのだ。私風に言い換えるなら「大難即光明、光明即大善ナリ~」だ。つまりは良いことも悪いこともない。自分自身の受け止め方以外にないのだ。全ては空であるのだから。
 カルトの考え方は、自らの持論に都合のいい考え方でしかない。
 そして本当に最悪なのは、教えを説く者ではなく、受ける者だ。それを一生懸命信じ、騙されてきた奴隷達だ。
 活動の為に我が子を魔にする幹部を何人も見てきた。子供のせいにして活動をおろそかにするユル活が正しいのに(本来はこれを子供のせい、とは言わないが)、そうは思えなかった自分がいた。
 私は、奴隷だったのだ。思えば恐ろしいことだ。
 自分の信仰を他人に強要する人間は、親になるべきではない。親になる資格はない。これが覚醒したときに、私が強く思ったことだ──

──「いてぇ~。すげぇ痛ぇ~」
「なんか、お前はあれだな」
「なによ」
「あんまり痛そうに見えないのな」
「痛いって言ってんじゃん。バカなの?」

続く