創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

バカだから

 久しぶりに「対話を求めて」ブログを読みに行きました。対話では現在「なぜ創価学会をやめられないのか」というテーマで退会者の皆様が投稿されておりますが、カルトをやめた人が陥る「なんでやめられないのか」を考えるパターンには数種類あると私は考えました。今回は二つ書きます。畳み掛けると読んで貰えなくなるでの。

 一つは、「なぜ私は気がつけなかったのか」といった自責の念が拭いきれない思考をしてしまうこと。これは騙されるに至った経緯をよく思い出し、色々あったがそれでも気がつけた自分に自信を持つこと。これがとても大切だなと感じます。取り分け、バリ活の役職持ちが覚醒するというのは、私からすれば奇跡体験アンビリーバボーなわけで、自信を持っていいとさえ思うのです。
 カルトに縁することなく生きてこられた方から見れば信じ難いことかも知れませんが、カルトというものは本当に危険な洗脳集団なのです。それに、エフィカシーを自分で下げるのが一番良くないことです。ともすれば精神を病んでしまうことにもなりかねません。私も考え過ぎてたまに陥ってしまうことがありますが、それはバカのやることだと思って瞬時に振り切っております。

 もう一つは、「なぜ私が気付けたのに、この人達は気がつけないのか」といった苛立ちを含んだ思考です。この思考は私も含め、結構誰もが通る道なのですが、これはもう少し視点を切り替え、考えを改めなくてはいけないと私は考えます。
 ヤドカリをご存知でしょうか。ヤドカリは自分の身体が成長すると、その大きさに合った貝を探します。厳しいことを言えば、私達はヤドカリではありません。周りがそうであっても、自分がそうであってはなりません。自由とはその先にあるもの。そうでないなら、自分の貝殻に籠って口をつぐんだほうがいい。人にはそれぞれ、合った考えがあります。今まで散々他人に押し付けておいて、自分に合わなくなったらからと他人にまたそれを押し付ける。元カルトは変わらないな。あなたはそんな風に他者に思われたいですか。そんなことでカルトが撲滅出来ると本気で思いますか。宿なんか要らん。野宿しろ。
 これは言うなれば、あっちの教えが素晴らしい、いや、こっちの方がと、カルトを転々と渡り歩く人間と大差ないのです。
 あくまでも自分の選択で決めたことなのだから、他者の選択の猶予を認めないやり方はおかしい。愛を持って接することが出来ないなら黙って去ればいい。私はそう思うわけです。

 釈迦は「待機説法」というスタイルで人に教えを説いたとされています。つまりは「その人に合わせた説き伏せ方」で相手を諭すことが重要だと思います。

 そうそう、タイトルにある言葉は何だと思われた方がいると思いますので、お答えします。「なんでやめられないのか」に対する、一生懸命考えて出した私なりの答えがそれです。結論です。なんで人は悩むのか、という疑問に対しても同様です。言い切ります。「俺達が、バカだからさ」と。自分一人じゃないよ。いつでもここに居るよって、愛を持って言い切ります
 知らないから騙されるんです。だったら、どうするか。
 情報量と知識量を増やすしかない
 本当のことを知ろうとする姿勢を持たない限り、どんな偉い人であってもバカなんだよ。以上。