創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

心は鍛えられない

 以前、記事のコメント欄で少しだけ書いたことを記事にしたいと思います。
「心は鍛えられない」この言葉に皆さんはどんな気持ちになるでしょうか。そんなことはない、と否定的な気持ちになるのでしょうか。
 心とは何か。これが理解出来れば、私が言いたいことの主旨が理解して頂けるかと思います。心とは、脳の活動の抽象度を上げた呼び方だと私は考えています。脳の働きが心というものを感じる理由。であるならば、脳が死んだら心も無くなるのか、という疑問が出てくると思いますが、それにも私は否定したいと思います。矛盾を感じるかも知れませんが、その辺りに関しての説明は今回は省きます。世界を理解すれば自ずとその矛盾点も解けることなので、まずは一つ一つ理解することから始めましょう。

 意識に上げられるものはごく一部の情報であって、脳内では無意識レベルで我々が想像を絶する程の活動を行っています。このことを知った時、ふと湧いて出てくるような感情や思索といったものは脳の活動から出たものだということが出来ます。
 それでは思考実験しましょう。鳥のさえずりや羽ばたきの音、どこからか湧水の流れる音、光と影の織り成す木々の肌触りや、苔の生えた岩の、硬くひんやりとした感触。そんな大自然に囲まれている自分を想像してみてください。目を瞑って、とことんその世界のリアリティーを上げて、その想像の世界に浸ってみてください。
 はい、出来ましたか?それでは質問です。何だか気分が清々しく、良くなりませんでしたか。
 これは言い換えるなら、自分の外にある情報を自分が感じ取ったことで「そこにいる自分」を感じること、と言えます。周りがあってこそ自分を感じることが出来るのです。しかしこれは想像です。もっと詳しく書くなら、過去に見た或いは感じた情報を使って自分が作り出した、妄想の世界です。でも、それでも安らかな気持ちが芽生えましたよね。そうです。それです。その感覚です。これを心の働きと人は呼ぶわけです。

 心はあるとも言えるし無いとも言える。無いものを感じて気分が良くなったり悪くなったり。心とは掴み所のないもの、とよく言いますが、掴みようがないのは当たり前なのです。なぜなら、実体が無いのだから。それでも感じるのは脳の働きによるもの。情報空間にリアリティーを設定して、その世界を意識に下ろすと、まるでその空間にいるかのように身体が感じる、この能力。そして、情報空間と物理空間は抽象度の問題であって別々個々に存在するものではなく、それを感じる人間の生体反応に他ならないのです。まれに想像したものが物理空間に具現化するのは、この2つと思われる世界が実は一つであり、繋がっているからに他ならないのです。脳は夢と現実の区別をつけることが出来ない。そういうことだけはなく、単に空間を区別しているのは自分の意識なのです。
 ではどこからどこまでが「心」なのか。台風と呼ばれる現象がありますが、実際に現場に行けばそこに大雨や強風があるだけで、台風はここからここまでです、とは言えません。居場所によって情勢が違うからです。心も同様に、ここに心があるとは定義出来ないのです。そうです。現象に過ぎないからです。
 現象に過ぎないものを「鍛える」ことが出来ますか。鍛えることが出来るのは物理世界にあるものだけで、現象そのものをどうにか出来るわけではないのです。いや、出来ることもありますが、それは脳トレや筋トレといった訓練が必要なものです。
 それと例えば、優秀なプロボクサーの中には、相手に殴られても瞼を閉じない人がおります。しかし本来は人間の生体反応として瞼を閉じてしまうものなのです。それが条件反射です。自然な反応です。プロが殴られても目を見開いていられるのは、意識的に訓練して初めて身に付くものであって、生体反応を鈍化させて成り立つ技法なのです。
 目にゴミが入っても無視しろという方が無理がありますよね。カルトにハマるというのもこれと同じく、生まれもった生体反応を鈍化させる訓練であることに他ならないのです。無理に心を何とかしようとか、心を鍛えようなどと思うのは、言うなれば脳の働きを鈍化させることと同義なのです。それよりも、純粋に研ぎ澄ますことの方が大事ではないでしょうか。それは、何事も無視するのではなく、向き合ってあるがままを感じることではないでしょうか。
 完璧を求めるなら、冷徹な人間になればいい。何でもかんでも数字で、理論的に見ればいいのです。それが出来ないから、私達は悩み苦しむんです。
 味わってこその人生じゃないのかい。人間、経験したことでしか世界を見ていない。見えない。道を知っているのと歩くのとは別なんだということを、いつになったら気がつくのでしょうか。
 私達は間違ったのではない。間違いに気付けたんだ。この差は大きい。修正が効くからです。
 人の痛みとか、苦しみを理解してあげられる人間は、心が折れることの本当の意味を知る者だと私は思います。
 私達は、心が折れるからこそ価値がある。折れないことが大事なのではない。折れてこそ人間だ。柔軟に受け入れ、乗り越えることに意味があるのだと思います。

 完璧なシステムに従おうだなんて、もうよせと言いたい。そんなものはない。何が世界平和だ。お前らがやっていることは、人間選別だ。奴隷を生むシステムだ。その考えが差別を生み、貧困を生み、いつまでも無くならないんだ。その歪んだ色眼鏡を取っ払わない限り、どんな理想も絵に書いた餅であり、見えるものも見えないんだよ。
 くそカルト。てめえらは何様だよ。一体、何様だ。

 私達は、機械じゃないんだよ。田園でも聴いてよく考えろ。以上。

https://youtu.be/D1KIm0HM9Cw