創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

メンタル武装トレ9「創造的回避とやる気について」

 世界に影響を与えた偉人の大多数が「それを好きでやっていた」ことが成功に繋がったという分析をする学者さんが多数おります。そのくらい、ゴール達成の要素にはエフィカシーの高さの度合いは非常に多く占められていると考えられています。

 エフィカシーをまだ誤解している人がいるかも知れないので再度定義を書きます。

「自己のゴール達成能力に対する自己評価」

 自慢したりアピールしたりする自己満足の類いではないことは、普通に考えれば解るかと思います。ぶっちゃけると、自分の心がアゲアゲならそれだけでいいのです。理解のないパートナーや気心の知れた友達などに言おうものなら「お前さん、言うほど大したことないよ」なんて言われたりして一気にモチベーションまで下げられるので、注意が必要です(笑)。自分がしたいことをするのに他人の評価は必要ないのです。そう言うと、「評価されるのが仕事な人はどうするんだ」と言われそうですが、それはそれ、これはこれです。プロ意識を持てばいい。自分で自分を見限ったらそれこそ終わりです。そんな人には何も言うことないです。何を言っても届かないのはその人の問題です。

 それと、ゴールは一つである必要はありません。むしろ沢山あった方がいいと思います。前にも書きましたが、これしかない、という考え方はカルトに通ずると思いますし、人生においてとてもバランスが悪い状態であると言えます。何かを犠牲にしてまでやらなければならない、なんていうのはゴールとしてもあり得ません。なぜなら「したいこと」と「しなければならない」は、実は相容れない思考だからです。ゴールとは「したいこと」「やりたいこと」という、自分がなりたい理想の姿です。使命感とやらを持ってやっている、むしろやらされている、というのは、全く動機として間違いだと思います。自分の設定した全てのゴールをまんべんなく達成するには、それだけ抽象度の高いゴールが求められるわけです。高いエフィカシーが必要とされるのは当然の理屈だと私は考えます。

 ところで、私達は好きなことをやるにあたり、やる気というものは本当に必要なのでしょうか。私には少し疑問です。私達の生活の中で、やる気を上げなければ出来ないことがあるとしたら、それはもしかすると本心では「やりたくないこと」だからやる気を出しているのでは、という考え方もあります。事ある度に五郎丸ポーズを取るような、なんというか、ルーティーンが必要な生き方ってどうなんでしょう。ここぞという時に修正は必要かも知れないけれど、事ある度に1日何度もやるのは何か違う気がします。祈らずにはいられない事がそんなにありますか

 

思考トレーニング

 普段の生活の中で、やる気を削ぎとったら到底出来そうにないこと。これを探してみましょう。この数があまりに多いと、人は知らずのうちに奴隷の生活を送ることに慣れてしまいます。当たり前だと簡単に思わずに、是非とも考えてみて下さい。改善の余地があるかもしれません。人に頼んでしまうとか、金で解決したりとか、やり方は様々あるかと思います。なるべく「やりたくないこと」はしない努力をするというのも、楽に生きるコツかもしれませんよ。それを創造的回避と呼びます。

 人は本当に好きなことをしているときだけは、やる気もルーティーンも必要ないのです。人からそれを苦労と呼ばれても、自分はそうは思わないでしょう。好きなことをしているのだから。余計だと思うことはする気も起きないし、ましてやる気なんて絶対に起こせません。

 皆さんも好きなことをするという経験があると思いますし、お分かり頂けるのではないでしょうか。

 カルトや霊感商法等は、思考停止を促すあらゆる洗脳法を駆使して、信者から財産を奪おうと画策しています。そんなカルトの存在を真っ向から否定する為には、こちらが明晰な判断の出来る人間である必要があると私は考えます。頭のゴミはなるべく捨てましょう。以上。