創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

あなたは主体性を持っているか

 洗脳の基本は、人間の恐怖を操ることだ。何故なら恐怖というものは、人間にとって最も強い情動だから。それを感じることができなければ、古来から人々は外敵から身を守ることも、危険な場所を避けることもできなかったろう。あなたは何も考えずに暗闇の中へ飛び込めるか。そういうことだ。

 何らかのきっかけで「怖い」という強烈な情動が引っ張り出され、人間は一目散に逃げたり馬鹿力を発揮したりする。他の動物も同様に、恐怖を感じることなしに種を保存することはできなかったろう。

 私の仕事でも、恐怖心の薄い人間からことごとく危険な目や怪我をしているという現実を付け加えておく。

 そして、私たちが生き残る為に最も必要としたはずのこの情動が、洗脳に都合よく使われているという事実。これは思いのほか深刻だ。誰かが特定の誰かを直接コントロールするために、文化のなかに埋め込まれた恐怖を利用する、なんていう機会は流石にそう多くはないと思う。だが、それらは確実に我々の日常に入り込み、我々が持つ本来の自由を大幅に制限しているのである。

 要するに、我々は自分の考えではなく、他人の考えによって物事を選択しているということだ。そんなことはない?果たしてそうだろうか。あなたは何故、家に帰ると何気無くテレビを付けるのかを考えたことはあるだろうか。この話も後でしよう。

 例えば上司や取引先から理不尽な要求をされたとする。「申し出を断ったら、まずいかもしれない」と私達は普通に考えるだろう。上司に逆らえば、人事評価が下がるかもしれないし、それが下がれば当然、査定や昇給に影響するだろう。取引先に逆らえば(思い出すなぁ)、取引停止になって営業成績も下がるかもしれないと。しかしそこで、「申し出を断るのはやめよう」と考えたとしても、それはそれで正しい判断なのだ。

 恐怖には、いわれのある恐怖と、いわれのない恐怖があり、いわれのある恐怖というのは個人が負うリスクのことだからだ。リスクに対して恐怖を感じることは、何も悪いことではない。ところが、相手の理不尽な要求をどう処理しようかと考えているときに、我々はテレビで流される占いで「他人の意見に逆らわないことが吉だ」「今日のラッキーカラーは黄色!」「ラッキーアイテムはハートの付いた財布!(持てるかい!)」とか耳にしたり、「そういえば、今年は厄年だったな」とか思い出したりするのだ。

 カルトに至っては、「祈りが足りないからだ」「広布の為にと祈るんだ」「先生にお応えするという気迫が大事だ」等と幹部に吹き込まれるのだ。もちろん、そんなことに強い恐怖を感じたりはしないが、少なくともそれは必ず私たちの選択に影響してきたのである。

 思い出してほしい。こうした 他人の意見を選択して動かされる人は、失敗するとそれを他人の責任にするということを。選択をする際、誰かの主張に従ったとしても本来それは自分の選択であり、結果に対しても自己責任のはずだ。ところが、他人の価値判断を受け入れることに慣れっこになっている人間は「自分が悪かった」という意識さえ働かない。何でもかんでも周りのせい。つまり、主体性を失ってしまうのである。

 思い当たる節がご自身にあるのならば、早急に改めてはどうだろう。いつまでも怒りに囚われて、早く消えてなくなれと願う自分ともおさらばしようではないか。

 消えてなくなれ、ではなく、消すんだよ。そんなもんは。主体性とはそういうことではなかろうか。以上。