創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

再考・4

 釈迦の話はこれで一旦おしまいです。アンチカルトには刺激が足りないようだからな(笑)。

 以下、ここで話すことはあくまでも個人的推測でありまして、仏教を貶めるものではないことを先に書いておきます。

 

 釈迦が悟った中身とは何か。

 それは縁起の思想ではないだろうか。

 言い方を変えると、釈迦が説いたのは縁起だけなのでは、ということ。

 縁起とは、以前自分を定義することというスレでも書いたが、自我とは他のあらゆる関係性から成り立つもので、独立して固定されたものはなく、実体はあるように見えて全てはうつろい行くもの、という思想。自分を定義しようとするとどうやっても宇宙にまで及ぶことは前にも書いたが、まさしくそれのことである。

 勿論、釈迦が悟ったものが何なのか、正しく解ってはいないし、これは推測である。

 しかし私にはどうにもその他の教えは釈迦が言ったこととは思えないのだ。後の人達の創作。うつろい行くものなのに、悩む必要あるかね。悟ってから苦を説明するかね。あれは正しいとかこれは間違いとか釈迦は言うかね。八正道とか言うかね。家族が殺されるかも知れねえのに死ぬ気で家出するぶっ飛んだ奴が(推測)

 

 この疑問の、私なりの解決へのヒントをくれたのは、某巨大創価アンチブログの管理人であるシニフィエさんなのだが、氏が仰ることを私なりにまとめると「その辺の庶民から口伝てで広まり、移動手段など徒歩や馬くらいしか無い時代に、うん千キロの距離とうん千年の時を経て国境を超え、やがて日本に伝わった、壮大な伝言ゲーム」ということだ。想像出来るかな。私はこれに反論の余地がなかった。正しいとか以前の問題。可能かどうかだ

 これが仮にアインシュタインが説いた相対性理論だとしたらどうだ。アインシュタインさんの近所の一般庶民が、相対性理論を彼から口伝てで聞いて、みんなで考えあって多数決なんかで理論をああでもないこうでもないと取捨選択して、理論を説明するのに余計な比喩や例え話を用いて説明して、果たして本当に伝わっただろうか。

 普通、理論を多数決で決めるなんてあり得ないけどな。同レベルの学者とかが議論したり研究するものだ。それが釈迦の場合、文字も読めない近所の一般庶民だった訳だ。

 

 無理だよ。俺なんか間に一人入れただけで揉め事が尽きないのに。

 

 ただし、後の人達を悪くいうつもりは毛頭ないの。後の弟子の中に天才が現れたのだ。少なくとも私はそう思う。インドの龍樹さんは縁起を「空の理念」で説明しようして実際に相性抜群だし、真言宗チベット密教なんかは身口意で仏の力を引き出そうとしたし、これは洗脳や脱洗脳技術に応用が効くものだし、天台のチギさんとかは、一念三千、ああ、もういいよね(笑)

 とにかく釈迦伝来の各種仏教のベースにあるものは縁起なのである(乱暴)。これって不思議。言ってることみんな違うのに縁起だけはあるってどういうこと?

 実は縁起が一番都合が悪い教えってことなんじゃないかな。宗教にも政治にも都合悪いの。だから僧侶達は隠そうとして(若しくは、どうしても信じられなかったか)、権力者は弾圧しようとした。のではなかろうかなと(これを付け足さないとね)

 以上が、私が縁起のみを拠り所とする理由なのね。

 まあ、反論の余地はたくさんあるだろう。でも、今までこのブログで語ってきた殆どの思考法や脳の話は、すべてこの縁起の理論から起きているということに対してはどう考えるか。信じる信じないではなくて、感じるかどうか。目を覚ます為のメソッドを縁起はもの語ってる気がする。だから私はこのブログでそれを証明している(つもりな)のである。

 はい、次回から縁起の理論から役に立つ脱洗脳思考法まで、くそカルト撲滅祈願からノロケ話まで、また始めることにしましょう。

 皆様、楽しい週末を。以上。