創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

設定変更できたかな

 コメント欄を承認制にしました。
 最新コメントから表示されるようにしました。

 以下、マイブログルール

※挨拶・自己紹介は要りません(したい人は自由に元気よくどうぞ)

※非公開希望は文頭に必ず非公開希望と書いて下さい。いちいち全てに反応はしませんが、返信不要も必要であれば同様にお願いします。

※批判的なコメントは「データ(資料)」「ワラント(論拠)」「クレーム(主張)」の伴わないものは基本的に公開しません。せめてワラント、クレームくらい書いてくれないと気分が悪いだけで反論のしようがありません。この場合「お前の母ちゃんデベソ」に対し「あんなもん見たんか」と返しますが、それ以上は何も期待しないでね、ということです。

 個人的に知りたいことがある場合はメアドを載せて頂きたく思います。以上です。

祝・800万アクセス

 ブログ「対話を求めて」が800万アクセスを突破しました。おめでとうございます。
 創価は詐欺であるということ、そして、そんな創価から静かに去りませんか、という二つのシンプルなテーマのブログは、沢山の方々に沢山の疑問や気付き、そして解決策等を現在も与え続けていると思います。
 やめて間もない人と、やめて何年も経って色々と見聞きしてきた人の交流は素晴らしいものがあり、一層の覚醒が進むものと思います。今後も声を上げていって頂きたく思います。
 残念ながら理解、支持をされない方、又はその存在に批判的な方もいます。悪意のコメントもあるでしょう。しかしそれは思想言論の自由が認められた日本国に於いては真っ当かつ当然のことであり、何もその他全員を「悪」と決め付けるカルト創価とアンチとは一線を画すものであります。あとは何が違うって、そこしかないでしょう。
 かりそめの自由に現をぬかす者は後を絶ちませんし、同様に心の自由を手に入れようと模索する人がいるのも、誰にも否定は出来ません。何かを信じる前に、もっと考えることに力点をおいた生き方を求める人もいます。
 
 人は変われる。これは何もカルトの専売特許ではありませんし、様々なやり方があり、変わらないことを選択するのだってありでしょう。まあ、変わらないものなんて無いんですけどね。ただ頑固と意固地は違いますよね。こだわるのも変化を求めるのも、こだわっていいだろって思います。
 退会したり、非活になってからの人生を自分の意思で生きている皆さんが、こうやって生きてんだよって人に伝えていくのは、そこから抜け出せない者にとってとても希望を与えるものと信じています。たとえ泣こうが怒ろうが、心が動いたからそうなるってことに気付いてほしいから。だから書いてます。

 過去に囚われず、未来に希望を持って生きることは、そう難しく考えることではないと思います。「これしかない」「これが絶対だ」という幻を追いかけるのは、もうやめませんか。抜け出せた人にとっては、ホントそれだけなんですよね。悩みも幻。しがらみも幻。観測者である自分の主観でしかない。主観が変われば、幻も消える。
 何が幸せか。選ぶのはあなただよ。
 「対話を求めて」は、私にそんなことを教えてくれたブログです。
 カルトに悩んでいる人にとって、心のオアシスがあったっていいじゃないか。一人じゃ何も出来なかったから、みんな集まってなにか出来ないかなって思うから、何とかしたいって思って書くんでしょ、皆さん。それだけじゃないにせよ、それを余計なお世話とか、カルトと同じだなんて言うのはちょっと言い過ぎじゃないでしょうか。

 カルトのバリ活さんがここを見ているとは思っていないけれど、もしもいるならどうか、どうかもう一度、考えてみて下さい。

 心からの微かな声に、耳を傾けてみて下さい。もしかしたら自分、騙されてるんじゃないか?って。
 
以上

追伸。明日からコメント欄を試験的に承認制にしようと思います。何か言いたくても書けない人がいるかも知れないので。なぜ明日かっていうと、今日はもうめんどくさいからです。歌わせろ。以上www

 
 

感謝と共に独り言

 なんといいますか……今、変なモードに入ってましてねw(変性意識ではなく)

 長年連れ添った痺れと痛みがいとおしいって思う感覚といいますか、単純に感謝の気持ちなんですね。この麻痺がなかったら、覚醒してもここまで真剣になれなかったなぁと思って。認知科学なんていう頭が痛くなりそうなものにわざわざ手を出すこともなかったでしょう。

 これがカルトだったら、「功徳よ!」「変毒以薬よ!」「転重軽受よ!」「活動報告よ!」「今日の発心に出して貰いましょうよ!」ってなるのかなと思ったら吹き出しそうになった。
 違いますよ。そうじゃないんです。

 科学とカルト、どっちでも治ったかもしれないことを前提に書きますが、
 そんなものは、今この瞬間を認識出来ない我々人間という生き物が勝手に言うことであって、理を理として認識出来る人間が為せる業なのであって。神も仏も人間が定義付けしようとしたものじゃないか。
 わからないものはわからない。でもみんな生きてんじゃん、そんな風に楽に生きたって良いんじゃないの。押し付けは良くないって、単純にさ。今そんな感じ。

 痛みを痛みとして認識していたから、脳ミソがいつまでも誤作動を起こしていた。自分という宇宙の中で、情報世界のバグが物理世界に影響を与えた、と言えば分かりやすいでしょうか。なんか怪しい文章になってしまったなw

 信じてもらえないかもしれませんが、誤解を恐れずに言うと
「この世は幻のようなものである」
「だから苦しみも幻なんだよ」
「幻を相手に苦しむのはバカのやることだからやめなさい」
 え?釈迦が言っていた?そうです。知ってるならなぜそう理解しない?
 難解?奥深い?私がどう思おうが、誰が何を言おうが、そこに「それ」はあるし、ない。幻ってのは実体があるかないか確認出来ないから幻なんですよね。
 
 これを心の底から理解できた時、痛みが消えていたんです。
 私の脳内釈迦(どう呼んだらいいかわからないのでこう表現します)が言っていたのは、言葉じゃなくて体感だよって。体感って書くと誤解されそうだな。なんていうか……頭で感じろってことかな。
 体感を言葉にするのは並大抵のことじゃない。そういう作業が出来る人が「文豪」って呼ばれる。釈迦の弟子達はそれを理論体系化したかったようですが。

 ともあれ、道筋は人の数だけ存在します。
最後に、映画「マトリックス」の名台詞を書いて記事を仕舞います。

「スプーンなんてない」

 はい、暇な人はこの週末にどのシーンか探してみようw
 以上、釈迦原理主義者がお昼をお伝えします。

奇跡は起こせる

 認識していた価値観や重要度が変わることがある。それは物事の関わり方や人との関係において、自他共に影響を与える。そして何より、自分自身への評価が大きく人生を変える。

 自分は見栄っ張りで欲深く、高慢で冷徹だったと思います。過去形なのはちょっとだけ変わったことを自覚したから。変化なくして自覚なし。 

 この高慢な性格のせいか、影の努力といえば聞こえは良いけれど、背伸びし続ける忍耐力は人一倍身に付いたと思います。
 そんな自分が、カルトの人達と出会い、いつの間にか、人のため、世界のため、なんて、自分の存在意義をカルトの目的にすり替えられ。いつしか涙もろくてお人好し、顔で笑って心で泣いて、影の戦いに徹するおいらはソーカのエージェント、なんて荒唐無稽なことをする訳のわからないバカになってしまった。

 でもね、良かったのか悪かったのかと聞かれたら、私は「良かった」と答えるよ。
 カルトを経験し、そこから脱却出来たことで、人に評価されることばかりを刷り込まれてきた自分を捨てられるというオマケまでついてきた。俺はツイてる(ツキなんてないけど言いたくなるねw)。 

 人間万事塞翁が馬、だよ。逆に言えば他人の評価なんて全くあてにならないことを知れたから。

 一番大事なのは自己評価。自分の能力に対する自己評価しかあてにならない。何故なら、自分自身の今が解る人間は、自分以外にいないからです。そういう意味では、みんな孤独なんです。


 過去の評価査定で現在を決める世の中のやり方は、まあ仕方ないけれども、でも私は大嫌い。大事なのは今だよね、と口では言いながら実際は過去しか見ない人を増やすからだ。

 過去と比べるな。間違ってたじゃねえかよ、何もかも、どいつもこいつも。
 過ちから得るものは気付きだ。学ぼう。

 そして、いつだって未来と比較しよう。夢を持つって、そういうことではないのかな。

 あ、そうだ、報告があります。それを書こうと思ったのに前置き長くなってしまったw
 15年くらい前から患い、ずっと諦めていた左上半身の麻痺が、最近完治しました。完全治癒、略して完治(しつこい)

 好きなことしかしないと決めた二年前。痛みを堪えながら毎日歌い続けていました。歌も歌えない人生なんて俺の人生じゃないって思って、本気で取り組んできました。上手く調整出来ない半分痺れた喉と試行錯誤の毎日だったけれど、それでも人に褒められたりして、エフィカシーを下げることなく。歌唱力については色々思うこともあったろうに、本当に心優しい皆さんに感謝です。
 嘘だと思うでしょ?半分痺れてたんだぜまじでw
 そして最近のある日突然、嘘みたいに痛みと痺れが消えていることに気が付きました。最初は何が起きたのか自分でも解りませんでしたがw「あれ、なんかおかしい」いや、ずっとおかしかったんだよ今までの自分が。って感じでw

 今思えば、非活になって退転した罰があたったんじゃないかと、深層意識が本気でそう思い込んでいたのかなあ……なんて思った次第です。
 どんなに調べても身体は悪くなかったんです。結論としては、脳が痛みの信号を出し続けていたらしいんですね。温熱治療が役に立たねえ訳だよwこんなことってあるんだなぁ。

 奇跡を信じたいなら、好きなことをしましょう。そしてそれは本当に自分がやりたいことなのか、他者から刷り込まれたものなのかを疑い、一生懸命考えましょう。
 答えを見つけたなら、本気で取り組みましょう。
 私が今自信を持って言えることは、それだけです。くそカルト、下らないこと、無関係なことに振り回される暇があるなら、自分の重要度はそこでいいのかって考えましょう。本当にそう思います。

 とりあえず今日は思い出の曲を泣きながら歌いましたw気になる人はどうぞ探して見てくださいwいや、遠慮せずに一緒に歌いましょうw(動画なんで今回は載せません。また晒したらええやんw) 何も考えずに歌えるって、こんなに気持ちが良かったのね。忘れてたよ。ああ気持ち良かった!
 以上です。

 

感情コントロールと変性意識・3

 ここまで説明するとなんだか変性意識っておかしな状態のように思われるかも知れませんが、そんなことはないんです。実は、人はこの変性意識状態が大好きなんですね。この意識状態に何度でもなりたくて頑張る人がたくさんいます。
 仕事に集中したり、仕事終わりのビールであったり、スポーツで汗を流したり、カラオケ行ったり、音楽でリラックスしたり、読書で作品の世界に没頭する時間であったり。ある意味普通のことなんですよね。
 とにかく人はいい気分になる為に頑張るんだと思うんです。
 そこに第三者の介入があってはならないというか、悪意があってはならないと私は思うんですよ。単にそれだけなんです。
 カルトは意図して刷り込みを行います。言うことを聞かされやすい状態にしてコントロールしようとしてきます。
 飴と鞭とはよく言ったものです。
 洗脳してくるのはカルトだけではないけれど、今回はカルトに絞って言います。

 ちょっと褒められただけで、さっきまでプンプンしていた人がコロッと機嫌良くなったりするのを見たことがありますが(悪いことではないが)、あれってその人が気分屋なのかというと、それだけではないんですね。褒め方が絶妙だったりするんです。コントロールされていることにすら褒められた本人は気付いていないんです。別に褒めた人が悪いとは言いません。誰も傷つけていないし、むしろ褒められたもんですwそんなコントロールなら可愛いんです。どんどん人をいい気分にさせたらいいと思います。それだけなら。詐欺はそこから続きがある。

 これがカルトだったらどうでしょう。いいんすか?その人。いいんすか?そんなんで。ってなりませんか? そういうことにも目を光らせないといけないのも、世知辛い世の中ですね。

 よそからコントロールされない為には、思い切り何かに没頭して楽しみながらも冷静に世界を俯瞰する心の余裕が必要ではないかなと、思う次第です。リラックスして行きましょ。

 次は自己洗脳によってよそからの洗脳を受け付けなくなる方法でも書きますか。いや、みんな知ってるかこれはw 


 それでは皆様、楽しい週末をお過ごし下さい。以上



 
 

 

感情コントロールと変性意識・2

 ぶっちゃけ変性意識って何やねんという方に解りやすく説明しますと、変性意識とは通常のとは違った意識状態のことで、トランス状態やそれに近い意識状態を指す言葉です。具体的には、無意識が意識よりも優位な状態といえます。ポイントとして覚えておいて欲しいのは、この時、脳内の情報の書き換えがしやすい状態になっているということです。

 コントロールできるなら自己洗脳しやすい状態、コントロールできないほどトランス状態になっていると他人にコントロールされやすい状態(他人に洗脳されやすい状態)なんですね。

「他人をコントロールしようなんざ危険極まりねえな」そう思われる方々がいるかもしれませんが、世の中には他人をコントロールしようとする人はざらにいます。
 例えばテレビCM等はその最たるもので、映像と音で変性意識を作り出しておいて、そこで商品を見せて「買いたい」とイメージさせようとします。大して欲しくもなかったものを何となく買ってしまった、それは深夜のテレビショッピングで見た、なんて時はそいつを疑っていいのではないかな。

 また、変性意識は宗教とも深く関わりあっています。
 例えば、キリスト教の讃美歌などの宗教音楽や、密教護摩焚きや読経なども変性意識を引き起こします。さまざまな宗教で呪文が唱えられますが、あれも変性意識を引き起こします。倍音という音が関わってくるのですが、それはまた別の機会に。

 要は結構簡単なことでこの変性意識状態は作れて、かつ刷り込みが可能なんですね。同時進行で脳に複数の作業をやらせてみたり、睡眠不足状態にしたりする事で簡単に変性意識状態は作れるんです。
 カルト時代、なんであんなに無意味な会合、男子部においては深夜滞の集まりが多かったのかなと考察するに、連中はこの理屈を上手く利用して会員を洗脳していたんだなと痛感します。
 創価なんかは特にS班やK部といった特殊な組織は簡単に洗脳が解けてしまっては運営が滞りますので(今はもう滞ってんのかな?)、強い変性意識状態を作られ、学会員とは、大聖人とは、池田先生とは、なんてことを猛烈に刷り込まれていったことは皆さんも容易に想像がつくと思います。
 でかい鈴をガンガン鳴らしながら読経から始まって、次、学会歌!なんてやって、指揮者は酸欠状態にさせられてw変性意識状態の幹部が変性意識状態の会員にグワーッと指導という名の刷り込みが入る。かかる人、そうでない人の差はあれど、通常あんな状況下で刷り込みが入らない人の方が珍しいというか、そもそもそういう人はアンチだからねw
 教えを信じている人は意図も簡単に刷り込まれるんですよ。

 私は変性意識を悪いとは言いません。むしろ、理屈を知ってさえいれば簡単には洗脳されないし、逆に自己洗脳によって自分の精神状態を良い方向へと向かわせるツールになり得ますよ、と言っています。方法の悪用が問題だと思うんですね。

 うーん、やっぱり長くなりそうなので一旦切りますねw 以上

感情コントロールと変性意識・1

 以前書いたものの中で、「感情は単なる生体反応」という言葉に賛否頂いたことがあります。
 人間は古来からこの生体反応によって生き延びてきた経緯があり、いわゆる古い脳(爬虫類脳とでも呼ぼうか)で、前頭前野部といった比較的進化の過程で新しい脳が劇的に発達した現代人においてはあまり必要とされなくなった生体反応だという持論があります。
 そして、結論としては感情に良いも悪いもないということです。

 個人的には、感情は娯楽と捉えています。娯楽だから、どんな感情も味わうことにしています。ちなみに私はそれを歌うことで昇華しています。要するに、楽しんじゃってます。

 そうだ、例えば「嫌な汗」と「気持ちいい汗」に違いはない、と言えば解りやすいでしょうか。嫌な汗と気持ちいい汗で成分が違うなんて聞いたことがない。
 汗は汗だ。気分だよね。それは受け手の問題であって、時系列によって変わることもあります。
「あの時は気持ちいい汗をかいたけれど、その後に着替えを怠ったせいで風邪をひいてしまった。あの時汗をかかなければ」っておいおい、いやいや、悪いのは汗じゃなくて着替えを怠ったせいでしょって話。これには意味がある、じゃなくて、そうなる理由があった、でしょ。
 感情が昂るとこういった冷静さも失うことになります。

 感情コントロールは、まず感情とは何かを知ることで楽にコントロール出来ます。もう解りましたよね。感情は単なる生体反応であると知ることです。そこから「いわれのある感情」「いわれのない感情」かを吟味することで暴走を止めることが出来ます。
 何より大事なのは、リラックスする事です。リラックスには様々な方法がありますが、何をするにも「変性意識状態」を作り出すことに違いはありません。
 よって次回は変性意識について書きます。以上