創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

ラスト

 クリスマスですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 
 創what最後の記事になります。最後なので今の自分が持つ思い切り高い視点から書きたいと思います。

 思い返せば1年前、祖母の死からスタートしたブログでした。
 わずか一年間の間に、劇的な変化がありました。嫁姑問題が解消したり、長年患っていた病気が突然完治したり、身長が少し伸び視力も上がったり(育ち盛りか)
 何よりも嬉しいのは、自由な発想を手に入れたこと。
 それもこれも、ここで紹介してきたメンタル武装メソッドを自分自身、くそ真面目に実践した成果だと実感しております。

 何度も繰り返し書いていますが、やはり人は好きなことしかしてはならないと思います。「ねばならない」「すべき」ではなく「したい」。シンプル。
 それが何のためなんて理由なんか要らない。後付けの理由なんか人に説明するときだけで十分です。まずは心からやりたいことを見つけることだと思います。
 そうばいっても、そんなことは難しい、夢物語だ、不可能だ、無理だ、エトセトラ……そう考えてしまうその殆どが刷り込みから来るまやかしであることを見抜くことです。
 やらなくちゃいけない事なんて無い。そこからスタートし、導き出す「自分が心からしたいこと」
 結果として自信が持てたり、過ちに気がついたり、ストレスが軽減したりすることで様々な変化が生まれるのだと思います。そんなことは後の話。まずは自分の心という見えないものとの格闘なのだと思います。
 アンチもシンパも関係なく、周りや人を貶してばかりいる人、そういうのが多い人というのは要するに自分が見えていないんだと思います。周りに甘えているんです結局は。そんな人は一度本当の孤独を味わった方が良いのかも知れません。茫然自失した所からスタート出来るって中々味わえないし、結果として楽しいですよ。諦めない限りは。

 毎日がワクワクの日々。これには条件も資格も許可も要らないんです。目先の小さな私利私欲に囚われず、無制限の大きなゴールを1つ、いや、沢山持ちましょう、無制限なんだから。
 そして、どんな感情も娯楽と捉えましょう。宗教やカルトに逃げるのではなく、生きてこそを味わう。そのことだけを考えましょう。死んだ後の事まで心配する余裕なんて本来、人には残されていないと思います。心配は何の役にも立ちません。心配する暇があるなら予測と対応を考えましょう、自分の頭で。そして、行動しましょう。動ける内に。
 あなたにしか出来ないことを、ひたすら考えましょう。やりましょう。
 いつまでも他者や無関係な組織の文句ばかり言っても何にもなりません。そんなことは当に解っているはずです。

 希望と共に目覚め、懸命に生きて、感謝して眠る。これからもそんな人生でありたい。

 皆さんの人生は、どうしたいですか?


 来年のMC-LIARは間口を拡げてもっともっと楽しいことをしようと画策しています。今よりも悪目立ちするかも知れませんがwどうせなら楽しくなれそうな事を共に考えてくれる方々と、残りの人生楽しみたいと思います。


 メリークリスマス。お世話になった皆様に幸あれ。


 一年間、ありがとうございました。
 
 


https://www.smule.com/p/1071327831_2690796984
 

人生って不思議なものですね

 もうすぐクリスマスですね。
 私は先日、祖母の命日にお線香をあげに実家へ行きました。母と、祖母が亡くなってからの一年間を振り返り、あっという間だったなという感覚を覚えました。

 人生はあっという間。長い目で見れば長い。なんだか不思議な感覚ですね。
皆さんの人生、振り返ってどうですか。文句ばっかり言ってませんか。それでも人は、時には背中を丸めたり、胸張ったりして生きていくんですよ。どうですか。胸張れますか。背中見せられますか。大事なのはいつだって今ですよね。 

 恥ずかしくない生き方ってどういう生き方でしょうか。後悔のない生き方って。
 そんなことを考える時、他所に答えを求めるような手前勝手で無策な己をまず見つめようぜ。そう思える自分になれたことに幸せを感じます。誇りを感じます。
 
 なんだか本当に言うことないなw
 クリスマスで最後の記事にします。何か考えなきゃな。以上。


 

ネットがデマなら

 12月に入りまして、そろそろ年越しの準備に入ろうという所ですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 さて、もうカルトに言いたいことは全部言った気がするので、今回は脱会者やイマイチ踏み込めないでいる方に焦点を当てて書こうと思います。

 私のカルト活動期間は6年間、21歳~27歳の頃でした。元々外部だったので全く馴染めなかった部分や、おかしいことはおかしいと解る年頃?なので大した刷り込みもされず辞めることが出来ましたが、それでも大切な6年間ですよ。大事な時間です。金で買えるなら取り返したいくらいw
 よく言われていたのが「ネットはデマだから見るな」といった言葉。個人的には二世とかの真面目な方が特に忠実にそれを守っていたような記憶があります。
 この論法についてちょっと考えて欲しいです。
 「ネットはデマである」に対する反論として「真実もある」
 ここで鵜呑みにしている皆さんが考えなければならないのは「ネットはデマ」と「だから見ない」というのは一見繋がって見えるが別ですよ、ということです。
 デマかどうかは調べないと解らない。そしてそれはどこかの他人が出した答えであって、あなた自身の答えではない。人が出した答えはあくまでも参考であって、最終的な判断は自身が出さなければならないと思います。調べても解らないものもあります。しかし「だから見ない」という選択は考えるほどあり得ない行為なんです。
 見て考えた上で、価値があるかどうか見極める癖をつけないと、また騙されますよ、と私は思います。

 ひどいカルトになると「指定された情報しか受け付けない」ことがあります。他は悪書だから読まないとか、悪魔にどーのこーのだから読まない、といった恐怖による刷り込みがあったりします。
「いわれのない恐怖」に心を縛られているのは余所から見ると滑稽ですが、本人からすれば至って普通なんですね。
「みんなが言っていた」みんなって誰。
「私はこう思う」その私こそ誰。

 どうして罪があるのだろう。
 どうして罰があるのだろう。

 騙されていないのに、騙されてるよと言われる。そんな人がいるなら、あなたはもう一度根本的な所を考えることが大切だと思います。



 
  

疑問を持つということ

 おはようございます。昨日は寿司屋で「のどぐろ」和名「アカムツ」という超高級魚とやらを食してご満悦のライアーです。白魚のトロという表現が適当なのでしょうか。脂の量が尋常じゃないw醤油付けて日本海をイメージしながら食べましたwうおお~高まるぅ~。まあ、空腹は最高のスパイスということで(私はグルメではない)w

 さて、ブログを辞めるにあたり、カルト思考からの脱却についてもう一度振り返っていこうと思います。

 私がカルトをカルトと認識することが出来たのは「疑問」を持ったことでした。単純にこれしかない。

 信仰を持つ皆さんに問います。
「何かが違う。そう感じる。だが上手く説明出来ない」そんな気持ちになったことはありませんか。あなたは、本当は気付いている。だからそんな気持ちになるんだと思います。

 いくら慢性的な不満があってもそれを我慢してしまう、祈りで消化しようとする人達がいるのは(自分もそうだった)、疑問が不満を超えられないからだと私は考えます。受け入れられないから祈ってしまう自分に気がつかない、と申しましょうか。
 圧倒的な知識と毅然とした態度を身に付けよう、と以前から申しているのも、疑問無くして解決の糸口は掴めないからです。カルトは疑問点というトリガーに「恐怖」というアンカーを仕込んでいます。そこに辿り着かないように仕向けられたものです。根元的な恐怖からは人は逃げることが出来ず、目を瞑るしかない。だから考えが及ばないのです。

 どんなものにも疑問を持って挑む姿勢。これが最終的な肝になる部分だと個人的に考えています。
 当たり前、当然、常識、そんな言葉の裏には様々な他者の思惑が見え隠れしてはいないだろうかと。
 すなわち「第三者からの刷り込み」「思い込み」を炙り出す作業がどうしたって必要になります。
 大半の人がここで「めんどくさいな」「どうでもいいや」と感じ思考停止してしまうのも、第三者の策略に乗せられてきた結果なのではなかろうかと。
 私達はどれだけ骨抜きにされてきたのだろうか。この時点では強い感情が必要だと考えます。「怒れない」これは問題です。もっと怒っていいんです。次のステップではその「怒り」を手放す作業が待っていますが、ここでは怒りをもって立ち上がる必要があるのではと私は考えます。
 人間、本気で何かを成し遂げようとやる気を起こすには、対象が「好きなこと」でなければ本領を発揮出来ないのです。
 皆様はカルト好きですか?嫌いですよね。はい、じゃあカルトではあなたは変われないね、というロジックがここで成立するわけです。対象者には徹底してこのロジックを持たせる努力をしてほしいです。本人が疑問に立ち向かわなければ解決しないからです。

 そもそもが他人の意見を聞けなくなっている(されている)状態を自分自身で認識するのは非常に困難なことです。それを人は「洗脳」「MC」等と呼びますが、単純に言えば「疑問点に辿り着けない思考」にさせられちゃいねえかってことです。

 私達が持つべき思考は「疑問点を受け入れること」ではないでしょうか。

  一旦休憩。

再開そして引退について

 おはようございます。20日に復帰予定でしたが、仕事と法事が残っていたので本日となってしまいました。

 先日、祖母の一周忌法要を無事に終えました。仕事も一段落。年末の警備に向けての準備です。
 数年前はちょっと険悪だった家族親戚が一同に会し、仲良く団結出来たのは何よりもほっとしました。
 人の細かい所に重箱の隅をつつくような真似をすれば、誰だって他人が自分のために生きているわけではないのだから、不平不満も出るでしょう。思い通りにならないからと外に不満をぶつける人は一生そのままなのでしょう。
 母親(妹)の姿が見えなくなって大泣きする赤ちゃんに向かって「あらー、お母さんがいないからねぇ」「人見知りが激しいのねぇ」「普段から沢山人に会わせないのねぇ」「そういえばトゥルーちゃんは泣かなかったねぇ」
 おいこらバ、ゲフン、いやいや、おばさん達。無理やり抱っこしてさ、そんな耳元で、知らない人が寄ってきて大声で話していたら誰だって怖いし不愉快に決まってるよ。あんたらほど耳遠くねえんだよ赤ちゃんはw
 うちの娘くらいだよ、誰に対してもニコニコしてたのはwそれに赤ちゃんが泣くことは悪いことではないよ。必要以上に泣かせるのはどうかと思うけど、赤ちゃんは赤ちゃんなりに精一杯、不愉快さをアピールしてるんだからwその原因を取り除いてあげるか、慣れさせるしかないじゃんね。ただ、泣くことがいけないような刷り込みを他者に押し付けるのはどうかな。それは違うと思う。
 私のせいじゃないのよって暗に言いたいだけの自分に気付けない大人は多い。「時代ねぇ」で一歩引けるおばさんはカッコいいと思う。

 外部になって十数年になりますが、一個人として自立してこそ互いに尊重し合えるという当たり前を実感する日々。その尊重を阻害するのがカルト思考や各種刷り込みだと思います。
 
 さてさて、休止していた間に色んな事があり、色んな考えが頭を過り、実は
「もういいかな」
 これが現在正直な気持ちです。

 個人的な話では、身内親戚にも仲間にもカルト野郎がほぼ完全にいなくなりまして、まあ今後出てくる可能性が無いとも言えないのですが、起きてもいないことに不安を感じる余裕もなく、毎日が本当に充実している。そんな中でカルトに「怒りを持って」警鐘を鳴らし続けるのは至難であります。
 ブログの方向性を変えてまで続ける意味あるのかと。正直こんなブログで歌なんか上げても「私は元気ですアピール」にしかならないしw別のものを作ったほうがいい。脳トレ系の本でも出そうかな。引き寄せ法則の流行りに完全に乗り遅れたがw

 政治や世界情勢に物申すブログにしても良いんですが、中身がどうしたって一辺倒になるというか、持論を展開して読者と中国韓国を不愉快にさせる自信しかないのでw

 音楽は音楽のほうでモノホンの人達に色々引っ張り上げてもらったりと、現在進行形でかなりの進展がありますし、もうここで聴かせる意味もなく…… 

 うん。私はこの界隈にもう居場所は要らないかな。ということで、年内に何か言いたいことが出来たらそれを小出しにして、それを最後にアンチカルト界隈から引退することにします。アムロちゃんも引退したし(無関係)

 これまで心を支えて下さった皆様。大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。
 ハンドルネームの「MC-LIAR」はずっと継続していきます。どこか別の世界で見掛けたら、その時はどうか宜しくお願いします。
 




 

ごめんなさい

 おはようございます。更新が滞っていて、楽しみにして下さっている皆様には申し訳ありません。

 秋のイベントが各地で毎週末やっていまして、現場対応や現場立ち合いで休みが取れない状況です。そこに(毎年恒例の)警察の立ち入りが20日に決定しまして、書類作成の日々です。
 好きなことを削るとなると、優先順位でどうしてもブログ更新が最下位なので、20日までブログはお休みの状況となります。
 しかしながら、その間に色々ネタも溜め込んでおりますので今暫くお待ちくださいね。

 それと、ゼロさんと何かあったのか、というガチなご心配の声に対してですが、管理人という立場もあるし(主義主張も違うし)、Web上でやり取りする必要性を互いに感じないのでやめることに致しました。中には馴れ合いといって揶揄する方も居られるようですので。

 ゼロさんとはたまにメールでやり取りしています。これは管理人とかカルトとは全く関係ない話で盛り上がってます。
 心配してくださった方々に感謝致します。
 では、これから久しぶりの営業に行って参ります。

 

意識と思考並列化について・2

 では、思考の並列化について掘り下げます。
 無意識の活動には経験に基づくものと自律的なものとに分けられますね。
 今回のテーマは前者にあたる訳ですが、意識と無意識、記憶、感情、そしてアンカーとトリガー、ラベリングというものを上手く活用することで、思考の並列化を目指すものです。
 
 経験に基づく並列化としては自動車の運転等がいい例です。これは前回書いた「フレーム思考」にも該当します。
 朝、車のドアを開けて乗り込むからスタートしましょう。私はそこで必ずやることがあって、走行距離を手帳に書き込むんですね。これを忘れると後で大変。交通費を貰えなくなるんでw
 運転日報を車に入れておいて、それを提出すれば良いじゃんっていわれるんですが、車の中にA4サイズの情報を置いておくなんてね。何か起きたらそれこそ面倒だと思う私は、締め日に手帳をポケットから取り出して一気に書き上げてしまうんです。こっちの方がスマートだし早いことを知っているからです。
この作業を忘れないのは、車に乗り込む、というトリガーに、手帳に距離を書き込むというアンカーとを意識的に結びつけたから何を考えていても絶対に記帳は忘れないんです。後は無意識に任せます。皆さんの無意識は、実は天才だということを忘れてはなりません。能力を発揮できていないだけです。信じましょうw
 休日でも書いちゃってさ、日報を書くときに混乱するのはご愛嬌ということで。(後に手帳に休みって書くことで回避。やっぱりバカだな)忘れるよりはマシですから。

 次に、皆さんが運転時に脳内で何をしているか考えてみましょう。車を運転しない人は自転車、それもしない人は歩行で考えてみて下さい。
 見えるもの、現れるであろう可能性を考慮しながら、信号や標識、ミラーやカーナビ等を見ます。同時にブレーキやアクセルを足でコントロールしながら、車間距離を保ったり、車線からはみ出さないようにと、手でハンドル操作をしていますね。私はここに歌も入ります(鼻歌レベルじゃないぞ)。
 考えてみると実に色んな事を同時に行っています。しかし、これらをいちいち意識して考えているかといえばそうではないでしょう。
 初心者は一つが意識に上がり過ぎたり予測判断に時間がかかるのと、操作に不慣れである事から、教習所では法定講習の時間が定められている訳です。それでも全然足りないから、初心者マークまで義務付けられています。皆さん御安全に。
 要するに、並列化には「慣れ」が必要だということです。ここまでは宜しいですか。

 今回は、普段から何か一つの作業をピックアップして意識上に上げるという訓練です。先程の、車に乗り込んで記帳といった事が無意識に出来るようになり、仕事上でもその数を同時に増やす(タスク処理と言えば分かりやすいかな)為の訓練です。ラベリンクの数を増やせば同時に色んな作業が可能になります。
 その前にまず一つ理解して欲しいのは、意識は無意識に介入することは出来ないけれど、無意識は意識に勝手に介入してくるよ、というカラクリです。「桜の花弁散る度に 届かぬ想いがまた一つ」byコブクロ なんてそのカラクリを如実に現した歌詞(ほんとかよ)だと思います。

 この「勝手に介入」がキーポイントです。せっかくなので、この勝手な仕組みを意識的に利用してしまおうぜ、というわけです。
 例えばマックのバリューセットと聞いて連想するのは何かってこと。この付け合わせを意識的に組み換えるんです。私の場合、マックと聞いたら「モスしか食わない」なんですけどw

 コツとしては普段から意識的に考えない事(思考停止とは違います)。いざというときの強烈なイメージングで、無意識が記憶するようにするんです。
 車に乗り込む時に車のドアの色を見たりとか、ドアを閉める音がトリガーになって、距離を記帳するというアンカーが出てくるのが本来の目的なんです。物(形)、色、音、匂いといった抽象度の高いものに無意識は反応してしまうんだそうです。意識ではないから自覚は出来ないので、本当かなって思うのは仕方ない。でもラベリングは普段から普通に皆さんもやっています。意識していないだけなんです。
 上司の顔見ただけでムカついてくるとかが、いい例です。それだって直せますからね、マジでw苦手な上司と楽しかった思い出をアンカリングしてるんで。上司の顔見ると思い出話をして笑い合うようにしたんです。続けていくと、上司の脳内にも私の姿を見る度に楽しかった思い出がアンカリングされていく訳ですね。洗脳完了ですよ(これは厳密には洗脳とは言わない)。私の顔見たら笑顔ですよ。そりゃそうだ、気分が良くなるんだから笑顔にもなりますよね。
 初めは気持ち悪かったけどもう慣れましたw

 仕事があるので今回はとりあえずここまで。さて、昼飯は何にしようかな。
以上