創what?

詐欺カルトからの覚醒メソッドを主軸に、世の中に蔓延る「なんとなく受け入れているもの」に風穴を開けましょう。こちらは、膨大な量の刷り込みにより凝り固まった思考を解きほぐし、自分らしさを解放し自由に生きる為のブログ。

ごめんなさい

 おはようございます。更新が滞っていて、楽しみにして下さっている皆様には申し訳ありません。

 秋のイベントが各地で毎週末やっていまして、現場対応や現場立ち合いで休みが取れない状況です。そこに(毎年恒例の)警察の立ち入りが20日に決定しまして、書類作成の日々です。
 好きなことを削るとなると、優先順位でどうしてもブログ更新が最下位なので、20日までブログはお休みの状況となります。
 しかしながら、その間に色々ネタも溜め込んでおりますので今暫くお待ちくださいね。

 それと、ゼロさんと何かあったのか、というガチなご心配の声に対してですが、管理人という立場もあるし(主義主張も違うし)、Web上でやり取りする必要性を互いに感じないのでやめることに致しました。中には馴れ合いといって揶揄する方も居られるようですので。

 ゼロさんとはたまにメールでやり取りしています。これは管理人とかカルトとは全く関係ない話で盛り上がってます。
 心配してくださった方々に感謝致します。
 では、これから久しぶりの営業に行って参ります。

 

意識と思考並列化について・2

 では、思考の並列化について掘り下げます。
 無意識の活動には経験に基づくものと自律的なものとに分けられますね。
 今回のテーマは前者にあたる訳ですが、意識と無意識、記憶、感情、そしてアンカーとトリガー、ラベリングというものを上手く活用することで、思考の並列化を目指すものです。
 
 経験に基づく並列化としては自動車の運転等がいい例です。これは前回書いた「フレーム思考」にも該当します。
 朝、車のドアを開けて乗り込むからスタートしましょう。私はそこで必ずやることがあって、走行距離を手帳に書き込むんですね。これを忘れると後で大変。交通費を貰えなくなるんでw
 運転日報を車に入れておいて、それを提出すれば良いじゃんっていわれるんですが、車の中にA4サイズの情報を置いておくなんてね。何か起きたらそれこそ面倒だと思う私は、締め日に手帳をポケットから取り出して一気に書き上げてしまうんです。こっちの方がスマートだし早いことを知っているからです。
この作業を忘れないのは、車に乗り込む、というトリガーに、手帳に距離を書き込むというアンカーとを意識的に結びつけたから何を考えていても絶対に記帳は忘れないんです。後は無意識に任せます。皆さんの無意識は、実は天才だということを忘れてはなりません。能力を発揮できていないだけです。信じましょうw
 休日でも書いちゃってさ、日報を書くときに混乱するのはご愛嬌ということで。(後に手帳に休みって書くことで回避。やっぱりバカだな)忘れるよりはマシですから。

 次に、皆さんが運転時に脳内で何をしているか考えてみましょう。車を運転しない人は自転車、それもしない人は歩行で考えてみて下さい。
 見えるもの、現れるであろう可能性を考慮しながら、信号や標識、ミラーやカーナビ等を見ます。同時にブレーキやアクセルを足でコントロールしながら、車間距離を保ったり、車線からはみ出さないようにと、手でハンドル操作をしていますね。私はここに歌も入ります(鼻歌レベルじゃないぞ)。
 考えてみると実に色んな事を同時に行っています。しかし、これらをいちいち意識して考えているかといえばそうではないでしょう。
 初心者は一つが意識に上がり過ぎたり予測判断に時間がかかるのと、操作に不慣れである事から、教習所では法定講習の時間が定められている訳です。それでも全然足りないから、初心者マークまで義務付けられています。皆さん御安全に。
 要するに、並列化には「慣れ」が必要だということです。ここまでは宜しいですか。

 今回は、普段から何か一つの作業をピックアップして意識上に上げるという訓練です。先程の、車に乗り込んで記帳といった事が無意識に出来るようになり、仕事上でもその数を同時に増やす(タスク処理と言えば分かりやすいかな)為の訓練です。ラベリンクの数を増やせば同時に色んな作業が可能になります。
 その前にまず一つ理解して欲しいのは、意識は無意識に介入することは出来ないけれど、無意識は意識に勝手に介入してくるよ、というカラクリです。「桜の花弁散る度に 届かぬ想いがまた一つ」byコブクロ なんてそのカラクリを如実に現した歌詞(ほんとかよ)だと思います。

 この「勝手に介入」がキーポイントです。せっかくなので、この勝手な仕組みを意識的に利用してしまおうぜ、というわけです。
 例えばマックのバリューセットと聞いて連想するのは何かってこと。この付け合わせを意識的に組み換えるんです。私の場合、マックと聞いたら「モスしか食わない」なんですけどw

 コツとしては普段から意識的に考えない事(思考停止とは違います)。いざというときの強烈なイメージングで、無意識が記憶するようにするんです。
 車に乗り込む時に車のドアの色を見たりとか、ドアを閉める音がトリガーになって、距離を記帳するというアンカーが出てくるのが本来の目的なんです。物(形)、色、音、匂いといった抽象度の高いものに無意識は反応してしまうんだそうです。意識ではないから自覚は出来ないので、本当かなって思うのは仕方ない。でもラベリングは普段から普通に皆さんもやっています。意識していないだけなんです。
 上司の顔見ただけでムカついてくるとかが、いい例です。それだって直せますからね、マジでw苦手な上司と楽しかった思い出をアンカリングしてるんで。上司の顔見ると思い出話をして笑い合うようにしたんです。続けていくと、上司の脳内にも私の姿を見る度に楽しかった思い出がアンカリングされていく訳ですね。洗脳完了ですよ(これは厳密には洗脳とは言わない)。私の顔見たら笑顔ですよ。そりゃそうだ、気分が良くなるんだから笑顔にもなりますよね。
 初めは気持ち悪かったけどもう慣れましたw

 仕事があるので今回はとりあえずここまで。さて、昼飯は何にしようかな。
以上

意識と思考並列化について

 本業が忙しくなってきたのでまた更新が遅くなりそうだ。と思っていたのは去年の話。

 今回は意識と並列化について。

「歩きスマホ」がちょっと話題になったのを思い出す。私の業界でもこのスマホウォーカー対策は今でも議論の的だ。どんなに声を上げても「聞こえていない」いや、「それが自分に向けられたものだと認識出来ない」からだ。
 先週末もイベントで凄い光景を見た。
 会場付近にいる人達の群れ。イベント参加者よりも「ポケモンgo」をやりに来ている人の方が多くて笑った。まだまだ人気なんだね。
 このゲームのようなものが、仮にテロリストの手に渡り(または開発し)、一ヶ所に人を集めて大量殺戮、なんていう妄想がよぎって、ゾッとした。あれも洗脳に見えるんだ、今のおいらには。

 余談だけど、セックス・ベイビー・ラウドノイズという言葉をご存知ですか?この3つだけが、人間が絶対無視できない音なんだそうですよ。
 じゃあ何かい。「危険だから前を向いて歩いてくださいね」という文言を、この3つのいずれかで言えば良いのかwこっちが危ない奴になっちゃうじゃないかw
 今度デスボで案内してみるか。スマホ向けられるんだろうな。恐ろしい世の中だ。

 スマホ片手に歩きながら、穴に落ちる動画を見た。他人によっては笑いの起きる人もいれば、心配する人もいる。まあ本人からすれば恐怖以外の何者でもない。笑いと恐怖は視点で紙一重だな。

 人は元から並列に物事をこなせる生き物だ。
 自分を俯瞰してみる。今私はスマホを片手に文章を考えて打ちながら一服し、車のシートに体を預けその体重を感じながら週末の仕事のことを考え、そして午後のやるべきことを順番付けしていたりする。もちろん他に無意識でやっていることが沢山あるだろう。呼吸や心臓の動きや胃の消化活動もそうだね。全て脳が指令を出している。しかし、それを意識として感じることは出来ない。勝手に出しているから自覚出来ない。
 いずれにせよ、こうしてみると2つの作業を同時になんて無理!とか言ってる自分に矛盾を感じる。
 大体が無意識に行っているものには考えも及ばないのが正常だ。
 ここ数年私は身体の痺れと悪戦苦闘してきたから、痛みのない状態がとても快感です。どこかであの痛みを探してしまう自分にも気が付いた。これは、苦い思い出といった情報空間においても言えることだろう。今度勉強してみようと思う

 布団のなかで呼吸を意識して脱力するだけで、身体が、いや、この場合は脳か。頭が勝手に、全身に快感を与えてくるのには正直びっくり。皆さんも試しにやってみてください。毎日続けていくと、どんどんコツが掴めて面白いです。力みなくして解放のカタルシスはないという言葉の意味を体感します。力みも脱力も、両方が必要だってわかります。
 そのまま気持ちのよい眠りにつけたりしますよ。脱力って意外にむずかしいですけど。頭から足先まで意識していかないと抜けないのね。面白い。

 意識というのはまだまだよくわかっていない分野だけれど、これが自分だと定義付け出来ない不思議なものですね。

 長くなりそうなので一旦切ります。
以上
 
 

お爺ちゃんのプレゼント(改訂)

 今日は人手不足で現場対応に追われた。
 週末のイベントや役人との打ち合わせばかりで少々体が鈍っていたから、たまにはいい。
 配置は自分がやっているので、好きな会社を選べる。
 自分の会社の近くだったので、出勤途中の総務の女の子達が、私を見て笑いを堪えながら通り過ぎていく。なんだよ。何がおかしいのかわからない。きっと、よっぽど制服が似合わないんだろう。ハロウィンだと思ってくれ。

「おお!今日は親方自らですか!」
 珍しく現場監督さんが笑顔だ。親方って。
「おはようございます。いやぁ、人が足りなくて来ちゃいました」

 今日は亡き祖父が勤めていた会社から請けた現場だ。 
 思えば祖父の会社の仕事を請け負うまで、5年掛かった。最初は門前払いから始まったが。
 仕事を貰うようになってからはもう8年くらいになる。経たねぇ。

 諦めかけていた時、うちのお爺ちゃんパワーが炸裂した。
 会長の奥様(故人)が私の祖父をよく覚えていてくれて、それが後押しになったのだ。
 4年目まで爺ちゃんの名前は出さなかったんだけど、私の名刺と、住所の話になり……(当時は実家暮らしだった)

「ということは、あなた、ライアー一世のお孫さん?」
「はい、ライアー三世でございます」
「あら~」
 ってなったわけだな。

 亡くなっても尚、私を助けてくれる祖父。色んな資格を持っていた祖父のお陰で、会社は様々な業務が出来るようになったんだと、会長の奥様(池田じゃないよ)から聞いた。

 現在は、この会社で私の祖父を知るものはいない。会長も、奥様も最近亡くなられた。
 現場で働く作業員のおじさん達も、祖父のお陰で今こうして働けているのかなぁ、なんて。みんな、自分が知らない繋がりがあるんだなぁ。

 ふっと思い出す言葉に、感情が揺らぐ。

「君のお爺さんは成仏していない」

 カルトに言われたこの言葉が忘れられない。言った奴の顔も忘れない。私にとっては、許すとか許さないの次元を越えている。仮にこいつからストーキングなんかされたら命落とすまでやってやる、ぐらいの怒りは、ずっと奥の方にしまってある。たまに取り出して使えるようにしとかなきゃ。持っていていい怒りと捨てなきゃいけない怒りがある。

 ほとほとよく理解した。私は、カルトの何が一番嫌いかって。人の生き死にに口を出す連中が心底大嫌いなんだな。

 義兄が亡くなった時、「お父さんにあの世に連れていかれた」って得意気に言った奴も同様だ。
 駆逐してやる。
 この世からカルトを駆逐したい。心からそう思う。

 お爺ちゃんごめん。
 私にも家族が出来て、爺ちゃんの気持ちがようやく解った。私はあなたの分身だ。あなたは死んでなんかいない。勝手に死んだことにしてた。
 違う。個体としてのあなたは命を全うして消えてしまったかもしれないけど、こうして秋空の下で働いている人達を見て、気がついたんだよね。
 あなたからの贈り物に。
 本当にありがとう。
 


 







 

心残り

 間違い、勘違い、行き違い、すれ違い……ごたごたの一部始終を見聞しては「ほれ見たことか」と鬼の首を取ったかのように騒ぐ無関係な連中。壮大な後だしジャンケン。それを言って自分が何をしたいのか考えていますか。

 なんとなく文体が可愛くて好きだったダイナムさんが色々叩かれていると知り、何事かと思い久しぶりに対話へと目を向けた。長ぇな(笑)流石は人気ブログだな。
 なるほど。了解した。
 でもちょっと待ちなよ。
 仮に私の見解が的外れで、シニフィエさんの言う通りだったとしましょう。
 それでも私は両手を上げる訳にはいかない。だって、あれって一部の情報だよね。いや、全部だったとしても、片方の主張であることを忘れてないか。

 理由はどうあれ、片方の主張を鵜呑みにして「これが真実です」的な論調で他人を扇動する方が危ないね。危ない。正しかろうと何だろうと、危ないもんは危ない。私が言えるのはこれだけ。せっかく覚醒したんなら、自分の頭使おうよ、としか。
 全部の情報はプライベートに関わるから出せない。それは至極わかります。ならばなぜ、脱会座談会なんて中身が絶対プライベートな話になることくらい予想がつく。それを後ろ楯にして正当性を主張するのは如何なものかなぁ。やってる方もすごく歯痒いよね、こういうのは。

 ブログの信憑性を言うのであれば、身内のコメントを緩く承認していたことを他の参加者にまで言及して謝罪でもするならまだしもだ、ダイナムさん一人にそれを適用してみたり、押し付けたりしていることには誰も文句はないのかなぁ。
 ダイナムさんが仮に、彼の承認欲求だけでやらかしたことなら、これからは池田のことなんかネットで悪口書かずに、もっと楽しく生きて欲しい。それだけ。人のこと言えないけどさ。ガストに来いっていわれたら行きますよ私。コーヒー飲みましょうよ。リアルにカルトに対してゲリラ活動するおつもりなら、情報なんかネットに上げない方が良いという考えもあります。
 
 宗旨変えは他人に踏み込んで関わることなんだから、自分に責任がない訳がない。単に自分の周りにカルトがいるのを許せない、自分のわがままだと言われても構わない。自分の居心地のいい場所に、誰だってしたい。これはカルト側からしても同じってことだ。やり方が気持ち悪いだけで、同じことだ。

 もう一度書くよ。例えどれだけ一方の主義主張がめちゃくちゃ正しく聞こえたとしても、片方の主張しか入ってこない状況を忘れて(解らずに)判断を間違える人なんか、ごまんといるのも忘れちゃいけないと思う。

 屋台骨がヤバいと感じた君主なら、対策を講じて建て直すに決まってる。そういう見方だってあるよ。
 話を途中で打ち切った理由を「ブログの信憑性を守る」として「相手の信憑性のなさ」ということにするのだから、ダイナムさんはもっと主張したっていい。断腸の思いとまで書かれた訳だよね、シニフィエさんは。ならダイナムさんだって言えない理由があっていいよね。それはおかしくないよね。
 
 ダイナムさん、もしあなたの主張や言っておきたいことがあって、あちらで反映されないのなら、ここで書いてくれても構いませんよ。
 これを、望んだ結末として受け入れるなら知ったことではないし、蒸し返したくない事情があるとか、静かに去りたいならそれでいいけれど、あなたがブログ始めるって聞いてバカみたいに喜んだのは嘘ではないし、心残りなので、もしよかったら最後まで面倒見させて下さいね。

 「対話を求めて」の、更なる発展飛躍を願いつつ。以上

 

フレームをぶち壊してみる

 以前、「フレーム思考」について書いたことがある。
 駐車場の白線の枠内に駐車するといった行動や、ハンバーガーショップで食事したら自分で食器を片付けるセルフサービス等、何の疑問もなく無意識に行っている思考回路の話だ。いわゆる情報処理のショートカット機能のようなもので(単に意識に上がってこないものが大半で、考えていない訳ではないが)、人間はこの機能のお陰で思考の並列化が可能なのです。
 思考実験してみるとわかりますが、普段の生活の中でこのフレーム思考を意識に上げる努力をすると、かなりの疲労を伴います。無意識にやっている行動を客観的に見ることで、自分にはこんなクセがあるのかとか、考えもなくやっていた行動にこんな無駄があったのかとか、こんな難しい処理を無意識にしていたのかと新しい発見があったりします。

 様々な理由からカルトを去った人の中には、このフレーム思考に焦点を当てる人が多くおり、やってきた行動そのものを意識に上げたことによって、
「自分は詐欺に加担していた」とか「騙されていたとはいえ、多数の仲間に迷惑をかけていた」といった思考に陥りやすい傾向があります。
 私も一時期は酷くその自己嫌悪に悩まされた1人でありますが、普段の生活から刷り込みの中に生きていることに気付くことで、暗くて壊れそうな暗澹たる気持ちから脱却できたことを思い出します。何故脱却出来たか。それは、刷り込みはカルトだけの専売特許ではないということに気がつけたからです。
 刷り込みには「第三者の意図したもの(洗脳やMC)」とそうでないもの「自ら勝手に刷り込んでしまった(フレーム思考)」が存在します。これはこっち、あれはそっちとか出来事を厳密にどちらかへ分けることは非常に至難で無意味ですが、考えればわかる通りで、
「第三者にきっかけを与えられ、自ら勝手に刷り込んでいったこと」の方が圧倒的に多いのです。
 
 これらの刷り込みには親からの期待などもこれに含まれると私は考えます。とあるプロアスリートでさえ、きっかけを突き詰めていくと子供の頃に親が褒めてくれたとか、喜んでくれたなんていう些細なことから、それが継続につながり、後に偉大な結果(その道の)を叩き出す訳ですから、刷り込み自体を批判するものではないことを理解してもらえたら有難いです。
 問題はこういった当たり前を「運がよかった」だの「生まれた場所が悪かった」「宿業だ」「罰の現証が出た」だのと、本当のことをひた隠しにする社会そのものの構造なのだと思います。

 生まれた時、人は可能性の宝庫であるはずです。それを、家が貧乏だったとか兄弟がどうだったとか、周りの些細なきっかけの積み重ねによって制限をかけられていくという世界の中に人間は生きている。このことを、親はまず子供に伝えなければならないと思います。「人のせいにしているうちは楽」というのは、まさにこのことを受け入れることの至難さなのだと。

 無批判に受け入れているものの中からそれら「悪しき刷り込み」を炙り出す必要があるということを、そしてそれらを親でさえ無自覚にやってしまうことがあることを知って下さい、と後世に伝えたいのです。

 包丁、と聞いて何を連想しますか。数を上げていってみて下さい。良いも悪いも全部です。そして、やがては気が付く。大事なのは使い方なのだと気が付くはずです。

 これが個としての人生、全としての人生をバランスよく生きていくコツではないかなと、個人的には思っているわけです。以上

 



 

罪刑法定主義

 こんばんは。
 今回は私の頭の中に入っている情報を少しアウトプットしてみます。頭の中だけが頼りなので、間違えていたらごめんなさい。間違えてたら仕事辞めます(今回の笑う所ここだけ)。

「法律なくして犯罪なし 法律なくして刑罰なし」
この言葉はこの国の罪刑法定主義の原則を的確に現した言葉です。
 解説すると、法律によって罪とされない限り犯罪とは言えず、また刑法に定められた刑罰以外の刑罰は科せられないということ。

「オラが村では、貴様は死刑だ!(日本のホラー映画)」とか
「俺が法律だ!(アメリカの暴力映画)」などのローカルルールは、日本国内において適用してはならない訳だ。六法で裁くということ。

 犯罪が成立するには、4つの要件に全て該当する必要があります。どれか1つでも抜けたらそれは犯罪として成立しません。
その4つとは、
「行為」
「構成要件該当性」
「違法性」
「有責性」

 行為は人の行為でなければならず、台風に家壊されたから台風捕まえろとか地震を逮捕しろってのは出来ませんし、ヤクザがいるから捕まえろってのも無茶苦茶。そのヤクザが犯罪行為を行って(または行おうとして)初めて成立します。ペットに他人が噛まれたらその飼い主の責任が問われるのは、言うまでもないね。

構成要件該当性とは
 構成要件に該当することをいい……ってちょっと待てい!構成要件って何やねん!という心のツッコミが入ったので説明すると、
「各種犯罪の定型・類型」のこと。もっと砕くか。殺すとか、怪我をさせるとか、騙す、といった違法行為を区分けしたもの。これらに該当しない行為は犯罪ではない。

違法性とは
 違法かどうか。ちょっと待てい!構成要件ってのは違法行為の類型なんだから、違法に決まってるだろ!って思うんだろうけど(過去にカルトの人に言われたよw)、違法行為の類型が違法でない場合もあるの。例えば、
 私は寝るときは全裸で床に寝ます、という人がいても問題はないが、公園のベンチでも同じです、ならそれ捕まるだろ。
 私がメス持って誰かに「手術だ」って言ってお腹切ったらダメじゃん。でもお医者さんはオッケーじゃん。そういうこと。正当防衛がいい例だ。
だんじり祭り等で人が死んでも罪に問われない(例外もある)。
 時と場合によって減刑又は免除になることがあるね。
 それを「違法性阻却事由」と呼びます。

 文章打つのに疲れると言葉がフランクになるな、私。

有責性
 最後、これが一番の問題点で今回のテーマで、今後はカルト問題に繋げていこうと個人的には思っている。
 簡単には責任能力があるかどうか、なんだけども、より細かい査定が必要なのね。なぜかというと、これによって量刑が変わるから
 つまり、構成要件に該当する違法な行為であることを犯人が認識していた(故意)か、注意義務を尽くしていたら認識できた(過失)か。これだけではない。
 正誤善悪の是非を認識出来うる能力を備えているか(責任能力)。ここね。

 裁判の判決でいつも歯がゆいニュースを聞くのは、ほとんどここなんだよね。

「被告人は犯行当時、心神喪失状態にあったと認められる。よって被告人を無罪とする」「精神鑑定の結果……云々」 

 どんなに社会的避難を浴びても、法律によって罪とされない限り、罰せられない。

 私達は、司法の実態において今何が起きているのかをもっと知らないといけない気がします。憲法改正したら各種法律も当然変わる部分が沢山ある。今覚えているこれだって忘れなきゃならない時が来るかも知れない。

 逮捕、よりもその後の仕組み。ここからは刑法だけでなく刑事訴訟法の話になるけど。

 話は変わるが、こんな大事な司法にカルトや闇組織の影が忍び込んでいたとしたら、皆さんは、どう考えますか。あなたの愛する人が、ある日突然……ストーリーはあなたが考えて欲しい。
 
 今日はここまで。

 余談だけど、デスノートの作者はその辺真剣に考えたのかも知れないね。
 ともあれ私の頭にはこんなことが入ってるとは、自分でも信じられない。どうせ教科書見たんだろ。フフフ、そう思っていればいいです。はい。